はじめに
比較的最近出版されている習慣や学習の本を見てみると、脳科学のデータや論文を引用し応用することが主流になってきているように思える。
脳科学というと心理学と似たような学問のように考えてしまうが、興味を持って最近出版された脳科学の本を何冊か読んでみると、全く別の考え方に根差した学問であることが分かった。
脳科学と心理学の大きな違いは、脳科学が脳の内部反応を見ているのに対し、心理学は外部反応を見ている。
脳科学では外からの刺激に対し、脳のどの部位が反応して、結果どのようなホルモンが出たり、体にどのような反応がでるのか調査する。調査した結果、異なる外部刺激であっても、同じ部位が反応すれば、同じような反応をしていまうということも分かっている。 その最も顕著な例が「共感」である。誰かがひどい目にあわされたり、ホラー映画で痛々しい場面があると、「胸が痛む」「同じ場所がムズムズする」といった反応が起きるが、この時、実際にケガをした場合に反応する脳部位と同じ場所が強く反応する。つまり「本当に」痛みを感じている。
一方、心理学はアドラーのような個人の心理学を除けば、統計学とほぼ等しい。ある集団に対して、外部刺激を与え、その刺激に対してどのように反応するかのデータを取る。例えば、学生が教室で告白するのと、つり橋の上で告白するのとでは、カップルが成立する確率に明確な差があるのかどうかを検証する。統計的に有意な差があれば、それは心理学的に効果があると認められる。
心理学は統計的に有意が判定できるだけのデータが集まれば効果を検証することは容易いが、脳科学の調査は脳波や電気信号、活動領域を調べないといけないため、心理学よりも調査が難しい。きわめて医学的な分野となる。
最近になって、ようやく脳活動の詳しいメカニズムが解明されてきた。いくつかの本のまとめにすぎないが、ここでは脳について分かっていることを、家でできる実験を交えて紹介したいと思う。
前半は脳について分かっている基本的な事柄を書き、後半は実験を交えて驚くべき脳の機能を見ていく。
脳=関数
脳とは非純粋な関数である。「非」というのは置いといて、関数とはどういうことなんだというのを、まずは紹介したい。
関数と言っても数学の難しい関数を想像する必要はなく、例えばペットボトルで作る簡易的な浄水器を想像してもらえばいい。上から泥水を流し込むと、炭や砂利の層を通って、最終的には綺麗な水が出てくる。
インプット(泥水)があって、アウトプット(綺麗な水)がある。その中間を関数と呼ぶ。
脳は、神経細胞と、それらを支え栄養を送るグリア細胞で構成されている。神経細胞は複雑なネットワークのように接続され、常に電気信号を送りあい、常にその接続を切り替えている。
記憶というのは、脳にデータベースとして蓄えられているイメージだが、記憶さえも関数として存在している。つまり、何かを思い出すにはインプット(きっかけ)が必要であり、そのアウトプットとして情報が出てくる。これが記憶の正体である。つまり、記憶はただの計算結果だ。
脳は絶えずそのネットワークを変形させているので、時間が経てばネットワークの構造は大きく変わる。その結果、同じインプットでもアウトプットが異なる。これを記憶の文脈で言えば「忘れる」ということになる。
後天的に作られる脳。人の生存戦略
ヒトが生まれた直後の脳にはシワが無く、また、脳機能としてもすぐに歩いたり、話したりすることができない。普通の食事をとるにも1年半ほどかかってしまう。
しかし、これこそが人間が選択した最強の生存戦略と言っていい。ヒトは地球上のありとあらゆるところに住むことができる。それは、脳が未完成のまま生まれ、後天的にその土地や環境に適応するように設計されているからだ。
生まれてから成長するにしたがって、歩く、話すといったことができるようになる背景には、神経細胞のネットワークがどんどん構築されている。そして、ネットワークの繋がりが物理的に強いところ、弱いところで、強弱が生まれ、結果としてそれが脳のシワとなっていく。というのがシワに関する現在最も有力な仮説である。
脳の形成というのはヒトが誕生してから20歳くらいまでには完成し、その後ほとんど変化しないと考えられていたが、実際は何歳になっても脳は絶えず変化し、成長していくことが確認されている。身近な例で言えば、タクシーの運転手は空間認知能力に関する海馬(の後ろの方)という部位が一般的なものに比べて大きいことが分かった。
そして、運転歴が長い運転手ほど、海馬が大きくなっていることが分かった。これはつまり後天的に脳が物理的に成長したことを表している。
4%しか見ていない
脳の視覚に関する機能を伝える前に、実験してみてほしいことがある。
なんでもいいがお菓子のパッケージ、または本の表紙をちらっと見てほしい。いつも見ているものでないものの方がいい。この続きを先に見てしまうと、先入観が働くので、できるだけ実験してから先に進んでほしい。
あなたの脳のはなし:神経学者が解き明かす意識の謎 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者:デイヴィッド イーグルマン
- 発売日: 2019/09/05
- メディア: 文庫
見た後に、そのパッケージに書かれていたタイトルや宣伝文の中で「はっきりと見えたもの」の色や字体をがどんなのか思い出してほしい。
確かに文字は見えたはずだが、実際にパッケージをよく見ると、色や字体が思っていたのと違っていることがある。
私はこの実験を妻とテレビを見ていた時に思い付いた。
妻と二人でテレビを見ていた時、ケンタッキーフライドチキンのCMが流れた。最後の場面で3つの商品が移されたのだが、そのうちの真ん中は「てりやき」と書かれていた。
脳科学の本を読んだ後だったので、すぐに実験を思い付き、二人でやってみた。つまり、今見えた「てりやき」というのはどのような色だったか答えるというものだ。
私の答えは「黒い文字に白い淵があった」妻は「茶色の文字」という答えだった。しかし実際は全く違っていて、文字は白色で、黒い背景があった。
さて、種明かしをすると、脳というのは目から入った情報をほとんど使っていない。
目から入った情報つまり、光は、網膜で電気信号に変換される。その後、外側膝状体を経由し、1次視覚野に入る。 しかし、外側膝状体へ送られる情報を100とすると、網膜から外側膝状体へ送られる情報はたったの20しかない。残りの80は1次視覚野、つまり脳自体から送られる。次の1次視覚野においても、外側膝状体から送られてくる情報は1次視覚野へ入る情報の2割しかなく、残り8割はさらに高次の視覚野から情報が送られてくる。
このような意味で、脳というのは、外の世界をたったの2割×2割=4%しか見ていないことになる。 96%は脳が補完した情報ということになる。この性質を応用したのが、錯視と言われるものだ。
分かっていてもやっぱり下の方が長く見える。
視覚からの情報を全て処理していると、かなり高負荷な状態になる。 実は最近のAIや画像処理でも似たようなシステムになっていて、ある画像を解析するときには、全ての情報を認識するわけではない。前段階でパターン認識と言われる技術を使って、人や動物だけを抜き出す。そこからディープラーニングなどの技術を使い、抜き出された画像が何なのか判定する。
表情から感情を読み取る
目の前の事実にさえ、人間は内部情報を使って補完する。 では、人間の内部情報である感情はどうか。
実は感情というのは脳の中から生まれるものではない。もちろんホルモンによって感情が左右される場合もあるが、「共感」のように他人の感情を読み取ったり、自分がある場面をみてどのような感情になるのかは、ある程度自分で決めることができる。
それにはミラーリングという機能を使っている。誰かと話していて、その相手が深刻な悩みを打ち明けている場面を想像してほしい。恐らく相手は深刻な顔をしていると思う。 そして私たちは自然とミラーリングを使って同じ顔になるように表情筋を動かす。
脳は表情筋を外部刺激として、そこから感情を読み取るのだ。決して相手の表情からではなく、同じ顔を作った時の筋肉の動きを元に感情を認識している。
これを体感してもらうために。テレビを使った実験を紹介したい。 できるだけ喜怒哀楽のはっきりとしない、政見放送やニュース番組をつけて、最初はしかめっ面で、眉間にしわを寄せてみてほしい。
そのとき自分の思考はどうなっているであろうか。 私の妻で実験したときには、「政府の対応が遅い!」という不満を抱いた。
今度は口角を挙げて、無理にでも笑顔を作ってみてほしい。 妻にやってもらうと、「給付金もらえたら嬉しいな」というポジティブな思考になった。
自分の思考にちゃんと注目すれば、かなりはっきりと感情の変化が実感できるはずだ。 この性質を応用すると、嫌なことがあった時や苦しいときにこそ笑顔になるべきだという考えに至る。現実に起こったことに対して、どのような感情を持つかは、どのような表情をしていたかで決まるからだ。
いつも笑顔でいる人、いつもしかめっ面で暗い顔をしている人の違いは、性格でも悪いことがあったからではない、そういう表情筋の使い方をしているのだ。
いつも笑顔でいることの大切さはこれまでたくさんの本で紹介されてきたが、脳科学までもがこの事実を後押ししている。
最後に
ここで紹介したのは沢山あるうちのほんの一握りのトピックにすぎない。 私が1番好きなトピックは「無意識」なのだが、非常に奥が深く、書くことが膨大になってしまいそうなので、ここに書くのは断念した。 一言で言うなら、脳の活動の99%は無意識だということだ。ひょっとしたらもっと多いかもしれない。
脳科学を勉強すると、自分がどのように現実を見ているのか、効率的に学習するにはどうすればいいのか、習慣とは何か、目標を達成するにはどうすればいいか、本当にいろんなことが分かってくる。
あらためて古典・名著と言われる本を読んでみると、後に脳科学で証明された方法が紹介されていたりする。それを経験や直観で分かってしまったのだから、著者は本当にすごい。
最新の脳科学を一般向けに書かれた本がいくつか出版されているので、興味のある方はぜひ1冊は読んでもらいたい。
本文書を書くうえでも参考にした本を最後に紹介して終わりにしたいと思う。
参考
あなたの脳のはなし:神経学者が解き明かす意識の謎 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者:デイヴィッド イーグルマン
- 発売日: 2019/09/05
- メディア: 文庫
メカ屋のための脳科学入門-脳をリバースエンジニアリングする-
- 作者:高橋 宏知
- 発売日: 2016/03/25
- メディア: 単行本
- 作者:池谷 裕二
- 発売日: 2013/09/05
- メディア: 新書